粉末でアレルギーを起こした顛末。
- 手舞足踏 なかむら
- 8月26日
- 読了時間: 12分
更新日:8月26日
3月末にフィナンシェの製造ラボを辞め、4月におしゃれ惣菜のキッチンを辞め…
有名ブーランジェリーの内定もらったからと上の2つのバイトを辞めたのに、結局内定を蹴り…
しばらく色々整理しながら過ごすも、ぼちぼち出稼ぎに行かないとなと、求人だけは見ていたし、実際行動したものの今までとは違う、普通じゃありえないような事で上手くいかず。
こんなにアルバイト探しで時間がかかるのは初めてで、かなりうんざりしていた時にやっと決まった出汁屋さんのアルバイト。
36種類の素材からオーダーメイドの出汁を作ることが出来る(特許も取ってます!!)お店で、出汁文化や出汁のおいしさ、楽しみ方、“旨み/UMAMI”を世界に広げていこうよ!!という、スタイリッシュだけど、とても熱いお店。
おまけにそこは唯一、8種類の野菜出汁の素材まである特別で最高の店舗。
本来レジや品出しから始めるところを新人が多くポジションが混み合っていることや、年齢や接客業の経験を加味してか、初日から36種の素材をお客様に説明しながらオーダーメイドの出汁を作るポジションに配置され脳内にびっしょり汗をかく心地。
少しのOJT(On the Job Training)の後、
“行けそうですね!!行きましょう!!”
そう言われて内心、“え、もう?!!”
と思っても氷河期世代のソルジャーマインドを持っている私。
“はい!!数入って慣れていくしかないですもんね!!”
そうやって物分かりのいいフリしているような、自分に言い聞かせるような。
笑顔で今知っている事の限りでベストを尽くし、困ったらスタッフにもお客様にもきちんと聞いて助けてもらい、しっかりお礼を言う、当たり前のことをその都度一生懸命やる。
それだけで褒められる時代が今ここにあります。
人が優しくなってます。
私の知っていた社会はとても厳しくて、なんだかとにかく許されなかった。
だから自分はせめて人を許すようにしてきた。出来る限りは。まぁそこまで意識的にではないにしろ。許されないことの多い社会が辛かったし、つまらなかったから。
もちろんいつでも何でも許せたわけじゃないし、怒っている私をよく見かけた人もいると思うけど、特定の個人を直接叱責することはなかった。
私の怒りは大概仕組みや環境によるものや、感じた悪意や自分や仲間への敬意不足、世代別/経験の有無から生じる無理解で、個人が嫌な時は冗談を交えて直接言うか、言えなければ陰でしっかり悪口を言ってしばし気を晴らす程度。
ここ数年、若い人と働いてとにかく昔とは全然違う仕事との折り合いの付け方や人との付き合い方に感銘を受けながら、時代の変化とその間にいた自分たちが下の世代に引き継がずに済んだ嫌なマインドの数々に名前がつき、嫌悪されるのを見ると、本当に我慢と自分が理想とした世界を細々実践してよかったという気持ちになる。
(尚、無意識に加担してしまっていたことや悪気なく傷つけてしまったことに気づいては自己嫌悪に陥ってる。)
こういう多くの人の我慢や願いの積み重ねと、若者の“その時代の正解”である素晴らしい感性で時代は確実に変わっていく。
少しずつオセロがひっくり返って、いつのまにか一面の白やら黒やらが広がって、前線に立たない大人は最近急に変わったとその世代の若者に罪の名前がついたラベルを貼って、ちょうど今の時代だと“さとり世代”なんて呼んだりする。
彼らがさとり世代と呼ばれるのはまぁわからなくもないんだけど、それ以上に、私含む大人たち、もっと言えばラベルを貼って悟り世代呼ばわりする側が“さとらせ世代”と呼ばれるべきなのではないかと思ったりする。
あともうちょっと言わせてもらえば、人は遥か昔から“悟り”を目指してたでしょ??
『すしざんまい』のざんまい、三昧。
それってインド哲学のサマーディといういわゆる“悟りの境地”じゃない。
結構なことじゃないですか!!
洗練された目線の先に、前時代的な自分が居るのが耐えられないひとは“さとり”と意地悪に呼んでしまうんではないだろうか。など思ったり。
そして更に言えば、“まだ若くて悟るには早すぎるのに諦めている様に見える”のはわかる。
でも、希望とか、楽しさとか、失敗してもいいよとか、そういうお皿が昔はたくさんあったのに、私たち世代もまぁ含むけど、そのもっと上の世代が無駄に使ったり、ヒステリックに割ってしまって、若い世代の人たちが一つの皿を割らない様にどうにか生きてる様に見える。
“がんばれ、諦めるな!!”なんて言葉だけをかけるのではなく、できるだけそういうお皿を若い人に渡したいとここ数年強く思うようになった。
なのに本来なら年上の私が何かしてあげる立場でなければならないというのに、若い方々から教えてもらったり、助けてもらったり、褒めてもらったりと、もらってばかり。
そして同じ世代や上の世代も制度や時代の変化、走ってきた疲れもあってだいぶマイルドになってる。
その上、私ときたら長い野良犬生活で妙に謝罪能力や敵を作らないようにする能力が気づけば培われていて、近年それを自覚することが増えていた。
若い人に限らず、年長者や同年代にも、感謝や、本当にあなたは素敵という気持ちを、私なりに不器用ながら言葉を通して、精一杯いつか使えるかもしれないお皿を少しずつ渡せる生き方をしたい。
覚えることが多く、日本語でも言い方に迷うようなことを英語でもやっていくのはとても大変だったけど、上のようなことを思うくらい感謝しながら働かせてもらってました。
お弁当が支給されるし、テナントのバックヤードも未だかつて経験したことがないくらい快適だったし。
なのに…
数回目の出勤で喉が痛くて、少し熱っぽく、風邪をひいて休んでしまった。(と、思っていた。)
そしてまた出勤が続くと喉がガサガサして、ぶり返したかな?と思ったものの、あれ…これ、風邪じゃない!!と気づいたのは、喉が閉まってきて、呼吸が苦しくなって意識が朦朧とし始めてから。
36種の素材から選んだものを出汁パックにするべく粉砕するので、そこらじゅうに粉塵が舞っていてる。
加えてテナントもひと繋ぎの空間すぎて空気の循環も乏しい…
明らかに喉、気管、肺に違和感を感じ、慌ててアレルギー検査のためクリニックを受診。
店で使っている魚と野菜のアレルギーを調べてもらった。
月13種類まで保険で調べられるとのことで、上限マックスで検査。
検査は5日かかる。
“まだわからないけど、魚アレルギーだったら結構大変だよ。魚食べられなくなっちゃうし、出汁も注意しなきゃならなくなったら外食厳しくなるからさ。”
とドクターに言われて大きなショックを受けた。
このお魚大国日本で魚が食べられないなんて!!!
滅多に食べられないけど、寿司を食べられない体になったら…
そして何より焼き魚や諸々の魚料理に別れを告げられるほどまだ食べ足りてはいない!!
まして魚入ってなくても和食の出汁でアウトになってしまったら本当に外食を諦めなければならない。
調味料で言えば和食に限らない。
しょっつるもナンプラーもアンチョビソースもだめになってしまう。
ウハー(ロシアなどで食べる魚のスープ)が好きな私には辛い。
その環境にいる限り悪化して、いつかは発症して完全に上のような状況になってしまうかもしれないし、アナフィラキシーを起こして危険なことになってしまうかもしれないと。
あまりにもリスクが高いので泣く泣く出汁屋のアルバイトを1ヶ月で退職することに。
お店の人も家族も友達も、皆びっくりしていた。
“今まで魚アレルギーなかったのに出てきちゃうなんて”と言ったり言われたりして、これが42年間食べて生きた体か。としみじみ思った。
蓄積で発症するから、体でそれを受け入れられるマックスまで食べてきたという急に薄らと浮かび上がる私の飲食の歴史と、また色んなものが受け入れきれなくなっていくこの体の弱体化と。
しっかり年齢を感じてしまったわけです。
2種の飲み薬に、点鼻薬、吸入を2種類。
ここにきて生まれて初めての喘息治療をしています。
この現実がなんとも追い打ちをかける。
そして再びクリニックに結果を聞きに行くと…
まさかの野菜アレルギーが発覚!!!
魚、無罪!!!
検査した、セロリ、トマト、にんじん、玉ねぎ、ニンニク、かぼちゃ、全て黒でした。
こんな大頻出野菜避けるの正直しんどいです。
そしてまだ調べてない他の野菜でもアレルギー起こす可能性があるなら一体何なら安心して食べられるのよ、という。

冒頭でも少し触れましたが、出汁屋さんには野菜出汁があり、それも唯一その店舗だけ特別に取り扱っているわけで、結果どちらにしろ出汁屋は辞めて正解だったけど、店の独自性故にスマッシュヒットしてしまった事実がなんとも皮肉。
私自身セロリ入りのオーダーメイド出汁を作り、すっきりとした後味に魅了されていたし、お客様にもオリジナリティの高い出汁を作る楽しさや美味しさを味わって欲しくて野菜を入れることを割と積極的におすすめしていた。
セロリの粉末の入ったその出汁は流石にもう摂取できない。
そして私は野菜の中でセロリが1番好きなので、セロリの危険度が1番高い結果を見て愕然としてしまった。
2番目がトマト。
お気に入りのトマトジュースを箱で買っていたけど、もう、お別れです。
たしかに私は野菜を食べすぎている自覚があり、この何年もの間、肉より野菜が入手しやすい環境にあったし、小学生高学年から高校生になるまでの間、すぐ胃が痛くなる難しい時期を過ごし、その間は不安から肉をなるべく避けて暮らしていたのです。
(高校で肉のおいしさを友達に教えてもらい肉が大好きになりました。)
ヘルシーの代名詞、野菜。
これには以前にも尿管結石で痛い目を見ている。
野菜を摂りすぎてシュウ酸が石を作り大変なことになった。
かれこれ3年半前、38歳の頃の出来事。
この事件についても今度詳しく書きたいと思っている。
が、その前に言いたい。
野菜は必ずカルシウムと一緒に摂って下さい!!
お願いです!!
理由は尿路結石事件簿(仮)で近日公開しますから!!
というわけでこれからは肉食で行きます。
米と肉と少しの野菜です。
牛丼屋さんにお世話になることが増えるかもしれないし、働くならステーキハウスがいいかもしれない。
もう時期、米は野菜だと言うアメリカ人の気持ちが少しわかるようになってしまうかも。
いや、わかりかけてきている。
というかそうあって欲しい。
正直、野菜アレルギーは魚アレルギー疑惑よりも、もっとショックを受けてしまいました。
そして生活の難易度がぐんと上がりました。
食べたらすぐ危険という領域ではないにしろ気をつけて食べなければいけない。
数日前作ったラタトゥイユをまた作ろうとアレルギー野菜を外してアレンジして作ったり。


とはいえ、ニンニク、玉ねぎ、トマトを使えない分、味のキレやコク、旨みを何で出すかという挑戦的な問いには青唐辛子と胡桃で応え、トマトの赤はビーツのピンクで彩るなどしてみた。
恐ろしいことに、なんだかんだで楽しみながらアレンジに着手している自分に驚きました。
そしてそれがちゃんと美味しい。
困り事を越えることや、制限の中でいいものを作る方法を考えたり、工夫したりが結構好きなんでこれから野菜アレルギーならではのレシピをたくさん編み出していきたい。
そして、月を跨いだタイミングで今度はベーカリー業務に戻れるか否かを知るため、小麦粉や卵、牛乳などパン周辺のアレルギー検査を。
なんと、小麦もアレルギーでした。
なんと、と言っておきながら全然驚きませんでしたが…
というわけでベーカリー業務とほとんどの製菓の仕事はできない体になってしまったのです。
(数ヶ月前のベーカリー正社員の内定辞退してよかったー。)
とはいえ、すぐにどうこうというレベルではないので、個人的に時々楽しむ分には問題ないそうです。
業務となると環境がどうしてもリスキーになるので。
これも結構残念ですが、仕方ないです。
選択肢がありすぎる人生の道の一つが削ぎ落とされて、かえって気持ちが楽になった側面もあります。
器用貧乏すぎて困ってたんで。
今後は仕事ではなく、安心して楽しめると思うと少し嬉しさもあります。
そんなこんなでお肉やお魚中心の飲食店のキッチン業務のアルバイトを探し、内定を5件いただき、先日ついに新しく働く場所が決まりました。
魚卵、ウニ、牡蠣。プリン体がたっぷり且つお肉も出て、隣には系列のワインショップがあるくらいだから、きっとワインも熱いお店。
勤務は9月からなのでまだよくわかりませんが、今度は安心して長く続けられますように。
そう言いながら痛風になって辞めたら、笑って下さい。
そして最後に。
粉末は結構怖い。
直接、喉、気管、肺に入ってしまうから。
そしてミキサーでジュースにしたものも怖い。
咀嚼して人間が本来食道に運ぶサイズよりかなり小さいものは不自然で、リスクが大きいとのこと。
また、生よりは火を通した方が安全。
身体中に掻き壊した跡がなくても、真っ赤じゃなくても、目を赤くしたり、鼻水やくしゃみなどの人にもわかる反応がなくてもアレルギー反応で実はやられていることがあるということ。
昔から時々、アレルギー体質だと言われてきたけど、はっきりと困ったことはなかった。
体内の炎症は本当に病気の素。
気づけないならば尚更タチが悪い。
セラピストのくせにあんまり健康じゃないなと呆れられてしまうかもしれないけど、こういうままならなさがなければ人の弱さや辛さへの感度は鈍るし。
自分や身近な人の体を通じて知識に温度が宿ると思う。
元気そうに見えて、実際人前では元気が出てしまう私に新たに与えられた課題に向き合いつつ、日々学び、だからこその施術も料理も提供し続けられるよう、頑張って行きます。
今まであんまり言えなかったことですが、勇気を出して正直に言います。
応援してください。
もちろん私も皆さまを応援していますし、これからもご質問・ご相談、リクエストなどに応えていきます。
交換条件とかそういうことではないんですけど、ただただ、今までも応援してくださっている方々の気持ちを見て、有難いと思って、ねだったりするのも気が引けて、言えなかったんです。
素直に言える人本当にすごいなといつも思ってました。
多分、言えたのは、これだけボロボロになってもまだ諦めもしないし前を向けていて、強制的に最強セラピストに近づけていることを実感しているからだと思います。
なので、応援してください。
気軽な気持ちで是非。
もうしてくれているのは知っているけど。
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