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柔らかい壁

更新日:2025年12月20日


“壁にぶつかる”。


困難な場面や、苦境に陥っているときによく聞く表現で、私も昔はよく使った気がする。


若い頃は大きな障害に体ごとぶつかって行ったから、この表現がぴったりだった。


だけど今は困っているとき、果たして壁にぶつかっているのだろうか?

それほどのエネルギーを以て勢いよくそこへ進めているのだろうか?

そしてその壁は昔のように硬く立派なのだろうか?

高く聳え立って、自分自身をちっぽけに感じさせる程の理想を私は未だ持ち合わせているだろうか?



近年の私の悩みといえば、〈返ってこないこと〉。

それにとことん疲れてしまった。

状況自体は“壁にぶつかっている”のだろうけど、どうもしっくりこない。


自分が成長したからか、はたまた若さや勢い、夢見る力を失ったからか。社会や環境が変わったからか。

壁はかつてほど高くも硬くもないし、威圧感もない。


例えるなら、テニスの練習で壁打ちをしているのに、壁が一向にボールを跳ね返してこない。


打ったボールがただムニュムニュと柔らかい壁に吸い込まれて行く。


それでも何度も何度も、ボールを壁に打つ。


その壁が跳ね返してこないことの不思議や、ボールが吸い込まれて行く様を面白いとさえ思いながら。



だけど、じきに問題が起きる。

ボールが壁に吸い込まれ、返ってこないことで、もう打つボールがなくなってしまうのだ。



その上、幸か不幸か、その壁は柔らかく、優しくさえもある。

私は壁打ちを、というか、壁にボールが吸い込まれる時間を、楽しんだし、誰に頼まれてやってる訳でもなく、自分で勝手にやっていることなので、壁がボールを跳ね返してくれなくても壁を責めたり嫌いになったり、もうやめようと思ったりはしない。



だけど壁にボールが当たる音さえ聞こえない。


ボールが壁を打つ痛快な響きは醍醐味とも言えるし、音が聞きたくてボールを打っているまであるのに。


聞こえるはずの音が聞こえない不安と静かに募っていく不満。


予定調和なんて遠の昔に諦めたはずだけど、何か行動を起こすからには多少の欲がないわけではない。



楽しい時間を過ごすとか、気持ちよく汗をかくだとか。

まぁ運動になるとか、少しは健康に近づくだとか。

隣で壁打ちをする知人に挨拶したり、立ち話したりだとか。

あるいは人にその姿を見せることで、努力はしてますよと思ってもらえるだとか。


それなりの副産物はあったけど、一番聞きたい音や跳ね返ってきて私がまた打ち返す、その繰り返しのやりとりの楽しさが見事に抜け落ちている。


一人相撲の空虚さにもめげずに、最大限楽しみながら、遂に最後のボールも吸い込まれてしまった。



全ての球を打ち尽くして、これ以上はもう打てない。

どうにもならない。

このまま壁の前に立っていても、魔がさして、今度は私が吸い込まれて、もうおしまいにしてしまおうかとも思ってしまう。



そんなわけで、体調の悪さもあり、先々週1週間弱、実は仕事をサボっていた。

だって球が切れたから。どうにもなりはしないんだから。


(※お客様のご予約があればもちろん全力でやるのですが本当に予約がない日が続き過ぎていたので。サボったという表現ではありますが、行くのも行かないのも自由な現場に出勤を差し控えたという意味です。)



どこかからボールを調達してくれば、きっとまた打てるという確信があるし、ボールさえ手にすれば私はまた体を動かし続ける。


だからボールを買いに行ったり、どこかから拾ってきたり、あるいは借りてきたり、はたまた吸い込まれないボール以外の物や、柔らかい壁の前に置く硬い大きな板を調達してくるなんてこともあるかもしれない。

私はきっとどうにかする。


とはいえ心中、最高潮にガスっていた。



こうやってサボっていると、

“好きに休んだりできていいよね。”

と尖った声が聞こえてくる。


私が打ち込む壁は優しく柔らかいのに、他三方の壁は妙に反響がよく、いかにも世間が言いそうなことや、家族や少し意地悪な友達に言われてきたことなどをはっきりと私に聞かせる。


こういう時、私はその声を存分に聞き、存分に反論し、戦い続ける。

人には見えない脳内で、戦火が上がり、略奪やら凌辱が横行し、大概どちらが勝っても私自身は焼け野原になる。

人知れず憔悴し、目の下に犠牲者の様に横たわるクマだけが戦地であった唯一の印となる。


多分この手の自分の脳内での戦争は、自宅や職場などよりも出来ることならば少し遠くでするのがいい。


ヒリヒリした気持ちには潮風が特にいい。


横浜に行こう。

きっと今なら横浜の各種洋館がクリスマスの飾りを纏い、暖かく出迎えてくれる。


普段は横浜方面に行く時は大概中華街を中心に回っていたけど、中華街には一切立ち寄らずに馬車道や元町やら古い建物や洋館を見て歩くというのをずっとやってみたかった。

今年やりたい100のことの1つとして、ちょうどウィッシュリストに書いていたことでもあった。


こんなにも虚無で、こんなにも悲しくて孤独だけど、夢をひとつ叶えに行こうと電車に乗り込み、とことん急行を避けてゆっくりと馬車道までのすごろくを進めた。


以前友達と行ってすごく楽しい記憶のある店に行こう。

サモアール馬車道店さん。


香りのいいアールグレーティーやロイヤルミルクティーが名物だというのに私は過去2回ともスミレのお茶やコーヒーを飲んだりで悪気はなくとも王道を外していたので今回はアイスロイヤルミルクティーを。



香りがよく、程よい甘さに優しさを感じる。



パントジェンヌ・テというお店で使用しているのと同じ茶葉が入ったグルテンフリーのケーキも頂いた。

これもお店の方に聞きき、王道を歩きたくて、気づけば少し必死に注文をしていた。



こちらも香りがよく、紅茶のクリームがこんもりとのっているので、食べ進めてもちょうどよくクリームが配分出来るなんともバランスのいいケーキだった。

シンプルでとても美味しい。


少しだけ機嫌が良くなってきたか?

いや、まだまだ悲しい。

隣の老夫婦が簡単に店員さんの労力を奪ってはお礼を言わないのが、つい気になってしまう。


令和の世でタバコが吸える数少ないカフェで、そういうカフェは多く残っていてほしいと平素願っている私だけど、何せ今は焼け野原なのでタバコの匂いをいつもの様にうまく受け取れなかった。


食べ終わり、トイレを済ませると店の回転率に弾みをつける様な滞在時間で外に出た。


早く海沿いを歩きたくて急足で行く。

そしてあっさりと海が見えてくるのが横浜の本当に素敵なところだ。



海が煌めく乱反射は写真じゃうまく映らないけど、海は絶え間なく動いていて、静かだけど躍動感があって、青くて、素敵で、多くの可能性を運び、あちこちに橋をかけ、でもなんか怖くて、とてもいい。


やっぱりヒリヒリした心には海辺でミネラルと陽の光を浴びるのが1番なのかもしれない。


とても寒い日だというのに薄着をしてきてしまったのと、アイスティーの利尿作用の見事さからこの日は何度も野外の公共のトイレのお世話になる。

そもそもここ数日お腹の調子も崩れていたので尚のこと。


右に行けば愛しの中華街があるけど、そこは曲がらず、グッと堪えて真っ直ぐに進み、元町付近までイチョウの葉を踏みながら歩いてやっと右へ曲がる。



歴史あるウチキパンさんへ。




ライ麦入りのロッケンミッシュや乳酸菌入りのサワーブレッドなど、良き教材になりそうなパンを購入。


いつ見ても美しいアール・ヌーヴォー的な袋の素敵さに少しずつ機嫌も良くなってきた。



とても素敵な感性をお持ちの尊敬する若き方からご紹介頂き、以前も訪れた魔女の方が経営するお店にも再訪。


GREEN THUMBさん。




最近発売になったばかりの店主の本の挿絵が新作のポストカードになっていたので購入。


これはこのお店を教えてくれた彼女に贈るつもり。


魔女の方が相変わらずお元気そうで良かった。

彼女はすごくしっかりと商品の説明やご提案をどんなお客様にもしっかりとしている。

以前来た時と同じフレーズに壁に吸い込まれるボールを思い出す。


私は、ぽとりとでも打ち返したくてポストカードに加え魔女の方お手製のオリジナルの紅茶を買った。


お店に訪れるお客様に同じ熱量で声をかけ続ける魔女の方の胆力に、今年40周年のその店の歴史に、強さを、そして自分の力無さを痛感する。


元々の素養も違えば、40年の歴史という巨大さ。

それ故に私が商売を始めたここ6.7年とは比べ物にならない日本経済のアップダウンを見届け、大変な苦労もあっただろうし、一方で恩恵もしっかりあったのではないかと思う。


似たような客層の商売をしている私の10歳上の方々曰く、2.30年前まではバブル崩壊前に蓄えたお金を持つ人々が相手で、崩壊後もしばらく続く時代の熱や欲望が燻りながらも残っていた。

当時のお金の使い方のフォームを崩さぬ人々が良いお客さんになってくれて自営業でやってこれたという。


私は日本がどんどん貧乏になる中でトドメとなる新型コロナの2019年2月にサロンを始めてしまった。

バブル世代もファストファッションを覚え、以前のお金の使い方のフォームも改善し終わり、増税、増税ですっかり引き締まっている今。

あと何年、どれくらい?回復するまであとどれだけ我慢すればいい?

私は待とうとしているけど、現に球が切れてここにいる。


セラピストになって8年、セラピスト一本でギリギリ生活ができたことはあるけど、それは長くは続かなかった。


コロナで仕事が出来なくなったり、再開しても県外からのお客様だらけなのに県を跨ぐ移動に以前よりハードルがいくつか増えてしまったり、何となく接触を避けるのが当たり前になって、こんなにもタッチ決済が主流になったのを誰が想像できただろう。


食品小売(カルディ)や飲食店やベーカリーで働いたり、友だちの法律事務所を手伝ったり、あれからまるで安定しない日々を過ごしてもう5年以上になる。


セラピストになって“儲けた”なんてことはただの一度もない。

物価が1.5〜2倍に上がる中、私たちセラピストはまさかの20年前と同じか、下手するとそれ以下くらいの価格でどうにかやっているのが現状。


私の人生の流れとしてはセラピストになり、もがいていることは間違ってないし後悔もないけど、経済的には愚かな間違いを生きているんだろうと思う。


そもそも氷河期の最後の方で社会人になって以来、お金で困らなかったことはないんじゃないか。


お金だけではなく自尊心も恐ろしく削られて、それでもいつかは認めてもらうためにがむしゃらに厳し過ぎるルールの中で頑張ったとて成果主義賃金の名の下、大幅ディスカウントされてきた世代。これでは持ち玉も少ないよ。

同世代の中でもとびきり弱い私が大した持ち玉もなく開業し、軌道に乗る前に歳をとり、心も体も出し切ってしまう。

きっとこれこそが企業体力と呼ばれるものなのだろう。


勝手な想像ではあるけど過去、いい時代にボールを集め、今も打ち続けられている諸先輩方に完全に体力が及ばない。

私の方がずっと若くても。いや、若いが故にか。


こうやって時々、企業体力と現実の自分の心身の体力を混同し、一喜一憂と時代への恨みや運の悪さにうんざりしてしまう。

自分自身が商品で、1人きりで仕事をしているとこの手のドツボにハマってしまうことは正直、しょっちゅうあるのだ。

それをなんとも丁寧に鈍臭く乗り越え続けてきた。



一説に魔女は320歳くらいで“脂の乗ったいい時期”らしいから、そもそもの規格が違うのかもしれない。


長い歴史の中でたくさんの苦境を乗り越え続けているであろう魔女の方に以前話の流れで経歴を聞かせてもらったことがあるけど、今一度、詳しく、お話をお伺いしたい。




先月、母校の明治学院大学でドリアン助川さんの講義を3週に渡って受けた。

老子の道/TAOについての回で、その教えの幾つかを取り上げ、バカボンのパパと一緒に学ぶべる、とてもわかりやすい解説に満足して帰ってきたが、ひとつだけ、納得のいかないところがあった。



『バカボンのパパと読む老子』

ドリアン助川



第二十五章「母たる宇宙に疲れはない」。

宇宙や道/TAOは大とも呼べるもので、独立して不変、あらゆるところにわたって休むことがない。

どこまでも行けて、それは遠ざかることでもあり、遠ざかればまた戻ってくる。

道/TAOは無限であり枯渇することはない。


ざっくり言うとこんな感じで、なんとなく言ってることはわかる。

だけど、私は無限で枯渇しないというところに引っかかってしまった。


大きな宇宙の対極の中ではそうなのかもしれないけど、人の人生は有限で、時間も、お金も、もっと言えば愛情でさえ無尽蔵に湧いて出てくるものではないと、いつからか思うようになった。


現実が見えたとか、大人になったとか、そういう類の生きる上で必要なドライさの一片を手にしたんだと思う。


木だって切り尽くしてしまえばレバント杉みたいに無くなってしまうし。なんせ失ったボールをどうしようかと悩んでいる最中なのだから。

当然、信じがたいのだ。



最近は日が暮れるのも早いから急いで洋館巡りを始めなきゃと外国人墓地の急な坂を上がり、港の見える丘公園を目指した。



港の見える丘公園



いつ行っても、美しい薔薇が出迎えてくれる。



この場所を歌った私の好きな曲も、よかったら聞いてみてください。


『港の見える丘』平野愛子




園内をふらふらと一周してからイギリス館へ。



横浜市イギリス館



リースやグリーンを纏った玄関。



階段を上がるとロビンと呼ばれるヨーロッパコマドリがひっそりと楽しそうにしていた。


ぜひ写真を拡大してこの可愛らしさを見てほしい。




厳かさも暖かさも感じられる室内。



西陽に照らされるリース型のパンに、日が早く落ちてしまう冬特有の焦りを感じながら見入った。

胸の辺りが焦げ臭くなる心地で他も見なければと足を進めた。



こういうところに招かれて食事をしてみたいし、招いてもてなしてもみたい。



もっと言えばこのキッチンで調理をしてみたい。

看板を見て借りられる事を知ったら、人生でしてみたいことが少し増えた。



少し早足で見て周り、外の寄せ植えの横にもいたロビンに別れを告げるとまた園内の散歩に戻った。


とにかくベンチに座って少し落ち着きたかった。


港が見える側のベンチは人がいた上、少し寒かったので、しばらくじっと座っていても目立たないベンチに座ろうと思っていたら、バラのアーチの下にあるベンチが、

“ねぇ、ちょっと、座ってってよ。”

と声を掛けてきた気配を感じた。



うん。じゃあ、少しだけ。


ベンチに座ると、あちこちに美意識や善意を以って植えられた草花が目に入ってくる。


少し開放的な気分になって久しぶりに思いっきり伸びをしたら、アーチに赤くて丸いものが見えた。


薔薇が散って、結実し、ローズヒップとなっていた。



一見、ザクロにも見える程に立派な、だけど葉はきちんと薔薇で、僅かに咲き残る四季咲きの薔薇もちらほらとあるので、これは間違いなく薔薇のアーチで。


一般のローズヒップとのあまりの形の違いに驚いてしまう。


それはしみじみと赤いボールの様に見えて、

“あぁ、ボールはこうやって返ってくるのかもしれない。”と思った。


そして道/TAOは遠ざかっては形を変えて返ってくる。

無限で、枯渇することはない。


私の短く小さな人生のサイクルや規模では到底信じられなかったことが、この些細な出来事、自然の現象を目にしてスッと体の中に溶けていくのを感じた。



思った形で、思った色で、思ったタイミングで、ボールが返ってこないだけの話で、ボールはあらぬ方向から想像を超えてこの世に遍在しているかもしれないと思えた。


もちろん善意や成果が思った形やタイミングで返ってこないことなんて私たち世代はとっくに知っているんだけど、知っているのと、それを信じられるのは別のことなんだと。

信じるということ、シンプルに願うこと、純粋でいること、これが本当に難しい。


だけど霧は少し晴れた。



その後も洋館を数館巡り、ずっと行ってみたかった店で食事をし、夜の青い青い横浜から東京に戻った。



他の洋館や大佛次郎記念館、後半の街歩きの様子は次回またお伝えします。



そこから数日経ったある日の出勤中。

家の近所で園児を連れた保育士さんが、


“みんなー見てー!!すっごく大きなヘチマだよー!!”


と、上の方を指して言ったのを私も思わず目で追った。



子供達が口々に大きなヘチマを賛美して通り過ぎた後、

“これもまた誰かが打った思いもよらないボールの返り”と、思わず写真に収めた。

心も涙腺も少し緩んだ。

幸せなことだと思った。



とはいえ未だボールはほぼない。

空っぽでは無くなったけど、カゴを持って壁打ちに行くにはまだまだ時間がかかる。

そして時間をかける。

時間をかけて、私のいる世界を改めて隅まで見てみる。

誰かに無駄と呼ばれたものを見て、その豊かさに私がずっと価値を感じ続け、言葉にしたり、香りに描いたりできたら素敵だ。


それを見たり嗅いだりした人の声が、ボールが壁を跳ね返す爽快な音として私に聞こえてきたら。

また壁の前に楽しく立っていることでしょう。


そして今まで聞こえた有難いボールの音をゆっくり思い出すことにも、また時間をかけよう。






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