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平成を終えられずに令和を始め損ねていた僕たちは。〜MR.FRIENDLYという平成〜

1 時間前
読了時間: 6分


1983年。


昭和58年に生まれ、5.6歳の頃に元号が変わり平成となってもその時はピンと来ず。

字をたくさん書き始めて以降は嫌でも平成を感じていた。


1900年代から2000年代に変わる、いわゆるミレニアムを迎えたのは17歳。

大きな節目の様でいて、毎日は続いた。


続いた。


煌めく様なことも苦悩も続いた。

そしてやっぱ圧倒的に苦悩が続いた。


それでもしばらく生きていけるための原動力を健気にちまちまと探していた。


そういう時、いわゆる“雑貨”というものに命拾いさせられ、救われた人は多いだろう。


痛みに耐えている間に令和がやってきた。

私はふざけてそれを“令和ちゃん”と呼んだ。

そうやって仲良くなろうと思っても、令和ちゃんはいつも無邪気に笑いながら手を振り払い駆け回る。

あまり目が合わない子だ。


そうやって8年。

そろそろ令和ちゃんと座ってゆっくり話が出来ないもんかと頭を抱える私は大人の都合で子供を叱ってしまう様なことをしないようにヒリヒリと自制している。


そうこうしていると昭和は踏み潰されたり、やたらと尊ばれたりし。

亡霊の様に漂い。

そして一方の平成は、カラスが仲間の鳴き声に反応しどこかへ向かう様に慌てて音を立て、シャッターを下ろし始めた。


正直、昭和ともゆっくりと別れていた途中で、平成に至っては、まだどこか続きを生きているつもりでいた。


どの時代の流行りの歌も友達のおかげでそこそこは抑えつつも内心、大概同意できない歌詞だらけで、音楽で孤独を感じながらも人に話さない自分の好きな音楽でこっそりと癒されている性分なのは昔からで、それ故に斜に構えている様に見えて若い人の歌に強く共鳴したりしている。


周りが老害化していく中で、心しなやかに苦悩しながらも対応しているつもりだった。


みんなそんな気持ちで、消えかけているものを気にかけながら、時代も追いかけながら、自分の世話や誰かの世話、社会活動までするんだからたまらない。

たまらなく騒がしく、忙しく、時間も余裕も、あとなんかお金もない!!


そうこうするうち、消えていく昭和の店、淘汰された平成の産物、変わりゆく景色にめくるめく情景。

何もかも変わってしまうだろうと憂いながらも、大事にしようと思いながらも、それでもまだ城内までは攻め込まれてはいないと油断してしまう。


コロナの頃、スクランブル交差点の定点カメラ、人のいない夜をYouTubeで見ていた。


ああ。もう、戻ることはない。同じ夜は来ない。

似た夜は来ても、あの頃が帰ってくることはない。

私たちは何かとても大切なものを失ったんだと涙が止まらなかった。


それは杞憂ではなく、駅はどんどん変わり、店も変わり、歩いている人も変わり。

それはそんな街の変化では収まりきらず、時代が変わり、政治が変わり、国が変わり。


ついに訪れてしまった。


2026年10月末で代官山のMR.FRIENDLY cafe 閉店。



小学生の頃に友達の誕生日のプレゼントは低学年はサンリオ、高学年になるとMR.FRIENDLYが私の中では定番だった。


中学の頃もプレゼントや文具を買いに行き、遠くの高校に通う様になっても思い出しては訪れた。


大学の頃に見た映画『下妻物語』のとあるシーンで店が映っているのを見て、私の中で確実にキャラクターグッズを越えた。


なんとなくあの困り笑顔で人々と仲良くするよう自ら示し、優しく説くMR.FRIENDLYが、概念や価値観、生きる姿勢、ポリシー、哲学、そういった類であることを認識したのだ。


好きなものには自然と似てくるし、影響も受ける。

現に私は困り笑顔をよくする、輪郭が丸くなりがちでフレンドリーな中年へと素晴らしい成長を遂げた。

ありがとう。おかげさまで友達と楽しい時間を過ごすことができています。


自分も商売をしているから、わかった気になっているだけかもしれないけど、本当にどうにもならない時はある。

世が求めてはいてくれていても、それを知っていても、それでもかつての勢いを失いながら頑張っても、どこかのタイミングで別れなければならない時が来る。

時なのか、道なのか、天気なのか、匂いなのか。

わからないけど、音がズレる。訪れる。


続けることも、辞めることも、同じくとても勇気のいること。


その両方をやってきたんだよね。


自営になってからはより一層、コロナの頃からよりより一層、そういう応援の気持ちで親愛の情を一方的に持ち、自分の中でMR.FRIENDLYが代官山にあるうちはまだ大丈夫。とか、勝手になにか世界が無事かのバロメーターの様に思っていた。


カフェで座るだけで他では得難い安心感を感じた。


これはすごいことだと思う。

私もそういう存在として、いい時間、いいこれからを提供できるよう目指していきたい。


昭和を懐かしみすぎるのは辞める。

これを機に平成が終わったことをちゃんと理解する。

令和ちゃんとしばらくは手を繋いで歩けるように、令和という時代の願望を受け止め、信じて手を取ってもらえる、座ってじっくり話してもらえる、たくさん思い出を作れる様に努力して、自身も楽しんでいける様に。もっと令和を始めないといけない。


結婚せず、子供もいないため、子育ては通らなかったけど、令和という時代は皆が子育てをするような時代なんだと思う。

実際に子育てをする人以外も、そういう気持ちで生きていくことが求められる時代なんだと思う。


私は大事に自分のサロンも、自分の家族や友達、仕事の仲間やお客さんにも、1人の素敵なお子さんをもてなすように、共に楽しく過ごせるように、やっていきたい。


子供をもてなすというと語弊があるかもしれないけど、大人をもてなすのはルールや文脈が多く、ある意味コードさえ押さえれば楽だけど、子供は各々の感性やコードやモードがあるからこちらが勝手に決めることはできない。

型のない柔らかい新鮮な心で付き合っていくという意味です。

そしてそれに振り回されて疲れるのではなく、一緒に楽しむ姿まで見て、子供は安心してくれる。

自分で思う以上に、私は幸せにならなければいけないんだなと思う。


簡単なことではない。


それでもやっていきます。

2028年、私が45歳になる頃、MR.FRIENDLYは40周年を迎えるそう。


その時にまた何かの形で会った時に、令和ちゃんと手を繋いで楽しくそこにいられるように。

そういう努力を私はしたい。


MR.FRIENDLY cafe閉店と共に平成が瓦解しても、根を下ろした優しさが消えることはありません。


高輪にアウトレットがあったときもお世話になりました。


ひとまず、今まで本当にありがとうございました。

またお会いしましょう。







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