しばらくはここで雨宿りをすることにした。
- 手舞足踏 なかむら

- 10月20日
- 読了時間: 7分
更新日:10月28日

まさかの野菜アレルギーで出汁屋さんのアルバイトを辞め、新しく始めた痛風ラインナップの飲食店で働き始めて1ヶ月が経ちました。
と、言いたいところだったのですが、痛風になって辞めるどころか、まさかのバイト1日目で辞めるという人生初めての出来事がありました。
営業妨害はしたくないけど、皆さんにも飲食店を利用する際気をつけて欲しいのと、1日で仕事を放り投げる我慢が足りない人間と思われたくないので一応弁明を。
最近の飲食店、特に都心部は元々テナント料が高いこと、人件費が他地域と比べ高くなること、近年の物価高騰でどこも苦戦していること。
これは周知の事実だと思います。
生存戦略としてキッチンを最低限のスペースに縮小し客席数を増やし収益を上げるという方法を取るところが増えています。
小規模のキッチンではやれる事が限られるのでセントラルキッチンで調理したものを温めるなどして提供したり、セントラルキッチンのない小規模のお店も購入した加工品を切り盛り付けて出しているところが増えています。
そりゃ多少はね、と思うでしょう。
その多少の域を超えた飲食店が結構増えているようです。
それも大手商業ビルのテナントでさえも。
世にいう場末のスナック(親愛を込めて発言してるので許してください)、カラオケのキッチンの様な調理内容で、きちんとした大人がランチで5000円落とそうと思える店にネット上では見せられるなんて店が割とゴロゴロある。ということ。
もちろん買った美味しいものを出す事は悪い事ではないんです。
時間と手間暇、お金もかけて美味しくないものを作り続けてしまうよりはマシなのかもしれない。
材料にも申し訳ないわけだし。
でも自分で作らない、ということで衛生管理が甘くなる傾向はどうしても出てしまうものだと思います。
製造物責任法などもありますし。
こんな事故起こしそうなところで働けない。という気持ちで逃げる様に1日で辞めたのです。
そんなことは事前にわかりそうなものですが、分からなかったんです本当に今回。
そして時給も良かったんです。
通勤も便利で労働時間の条件も面接時点では合っていて、実際は違ったんです。
しかも他5社の採用を断って選んでしまったのがそこだったのですよ。
もう次に飲食店で働く際は都心の条件のいいところではなく、西東京まで通勤する覚悟を持って本当に惚れ込んだ店で働こうと思います。
とはいえアレルギーがバンバン出てきた42歳の私が自分の屋号を守りながら飲食店で働くには以前よりリスクというものもあり、どうしようかなと思っていたところ、
前の店で一緒に働いていた縁で今も仲良くしてもらっている先輩が手伝っている新宿御苑のサロンに欠員が出たから来ませんか?と声をかけてくれました。
9月の半ばからお世話になって1ヶ月が経ちました。
本当にありがたいことにかなり自由にやらせてもらえています。
一緒に働く人も個性的でたくさん話したくなる様な人たちで日々交流と関係の構築が急ピッチで進んでいます。
大工さんが家を建てる様な音で。すこし騒がしく。賑やかに。威勢もよく。昔ながらの方法で。
完全なる歩合なので1日誰も来ず売り上げゼロで帰る日もあります。
俗にいうボウズってやつです。
自分の店がボウズ続きで暮らせないので時給が発生する飲食店で出稼ぎをしてどうにかしのいでいたので、またこの完全歩合の世界線に久々に戻ってきて、その日暮らし、その場“しのぎ”の生活にヒヤヒヤしつつも、それだけにお客さまや施術ができる楽しい環境に有り難さを感じています。
業務委託という闇とか、雇用の問題的にあんまり大声では言えませんが。
だってこんなことって普通はできませんから。
毎日がギャンブルすぎるけど、どうにか生き残れる様に手を動かし続ける、成長とチャンスのある自由な場所に身を置けるのですから。
売れない芸人や役者とほぼ同じマインドで、これからも私の野良犬生活は続きます。
だからしばらくはこの新宿御苑で、雨風をしのぎ、生活をしのぎ、軒先にいることは忘れずに、しばし雨宿りをすることにした。
他所のサロンで働く度に思う。
本当にどこも厳しい。
今回もozのアワードを取る様な店に来たものの、こうやってボウズの日も結構あるし、不本意ながら値下げ合戦に参加してしまっている。
とはいえ従業員を抱えた店が値下げに踏み切ってしまうのはある程度仕方がない。
コロナとその後の増税から本当に人々の可処分所得が減って、将来への不安は増えて。
さて節約となった時、1番最初に削られる分野にいることを痛いほど知っているし、私自身、ままならぬ暮らしの中、本当はしたい消費行動のいくつかを実際に優先順位をつけて手放している。
その順位のかなり低いところに私たちはいるんだという現実は忘れない様にしたい。
コロナ禍に東京都の要請で仕事を休んでいた時、その正当性を強く感じていたものの、リラクゼーションサロンが人々の生活の中のエッセンシャルなところにはないことを痛感してしまった。
生活がきちんと回っている上での余裕が私たちセラピストを生かしてくれる。
そういう位置にいるのだから、もう吟遊詩人としての側面を持って生きていることを自覚し、せめて日々広い意味で勉強や哲学をして、その生き方自体で人や世間に貢献していくしかないんだなと覚悟したのです。
そしてお金だけではなく時間も、ない。とにかく時間に余裕がない。という意識が加速している。
時間というものへのプレッシャーがすごく強くなった様に感じる。
皆、取れ高のある時間の使い方を求めていて、それと同時に、時間の価値がかなり高まっている。
歳をとって年々、時間の価値を感じるという自然現象とは別に、“お金はないけど時間はある”の代名詞だった若者や子供たちに、時間も満足にないと思わせてしまっている今ってどんな時代なんだろう。
貧乏暇なし。国が貧乏になったから国民に総じてなんとなく暇がないのだろうか。
仮に暇を惜しんで働いたところで今の世の中、本当に泡銭というか、稼げるというステージに行くまでにもう何段階かのクラスチェンジをしないと実際には難しい。環境が許さない人も多くいる。
となればお金を稼ぐことにはある程度見切りをつけて、自由な時間を死守することになる。
時間を、人生を奪われることを強く嫌悪するのは理解できる。
私自身かなりそういうマインドを持っているので。
それと引き換えに痛みを伴う野良犬生活を長年送っているくらいなので。
そんな大事な時間を私たちはかけてもらっている。
少し前までは安い値段の店で施術するのは、業界全体のためにかなり抵抗があったけど、時間だけはじっくりかけさせてくれるお客さまへの有り難さからそこへの気持ちは最近薄らいでいった。
客層が落ちると恐れていたけど、そんなこともなかった。それはそれで悲惨な現実がある気もするけど。
正直こんな日が来るとは思わなかった。
手舞足踏は個人サロンだしオイルやお茶などいいものを使っているのでこれ以上価格は下げられないのですが、我が店にお金と時間、しかも行き来にもかなり時間と労力がかかる方がほとんどなのに、小旅行の先として選んでいただけること恐悦至極で。
その上いつもお優しいお心遣い、本当に本当にその温かさでこの体の温度を保っているんじゃないかというくらい、私の心身に染み入るものなのです。
まだ体は温かい。
まだしばらくはやれる。まだまだ動ける。
天冲殺という人生の悪天候が、今私に降りかかっているそうで、たしかにな。と思える局面の多さに、四柱推命だとかの類の生まれた時に算定される人生の設計図が本当にある気がしてしまうけど。
それならそれでいい。
雨の日々の過ごし方をして、晴れ間を迎えるとき楽しめるように準備ができる期間とすればいい。
飛んだり跳ね回ったりの大きな動作の前には必ず予備動作があって、助走をつけたり、膝を少し折ったりする。
その分、いまは小さく見えるかもしれないけど、私は踊っていたのでわかるんです。
自分がまた準備をしていると。
この新しい宿で、しばらく過ごすのです。






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